仏教エトセトラ

仏教にまつわるよもやま話

死別の悲しみ

 新年度が始まりました。お花見に行かれた方も多いでしょう。卒業式や入学式、入社式、退職など出会いと別れが交錯する春ですので、今回は釈尊の入滅を悲しんだ阿難(あなん)と羅嵯羅(らごら)という二人のお弟子を通して、死別の悲しみについて考えます。
 

  釈尊には阿難という侍者がいました。わたしたちが読むお経に「仏告阿難(仏が阿難に以下のように告げた)」と書かれていることから分かるように、「釈尊の 教えをお弟子のなかで最も多く聞いた方」と言われています。阿難が釈尊にお仕えするようになったのは、釈尊が55歳の頃。釈尊は身の回りの世話をしてくれ る侍者が欲しいとおっしゃり、お弟子たちが人選をすすめたものの希望者が多くて決まらず、そこで釈尊は阿難を望まれました。その当時、阿難は35歳前後と 考えられ、50代、40代が多いお弟子のなかで若く体力がある。加えて釈尊の従弟であり、旧知の間柄でした。爾来25年、侍者として釈尊がどこへ行かれる にもご一緒し、釈尊がおっしゃったお言葉をひとつ残さず記憶しつづけましたが、とうとう別れの時がやってきます。入滅を前に、釈尊は頭を北、足を南に向 け、右わきを下にして横になっておられ、その前で阿難は大粒の涙を流していました。「わたしはまだこれから学ばねばならないのに、師はお亡くなりになろう としている」。その言葉を聞いて釈尊はおっしゃいました。「やめなさい、阿難。泣くな、悲しむな。わたしはいつも説いたではないか。生じたもの、存在した もの、つくられたものはいずれ壊れる。すべての愛するもの、好むものからも別れ、離れるのも同じ道理なのだから。悟りを開く人は過去にもいたし、未来にも いるだろう。悟りを開く人のそばには、必ず侍者があった。阿難は実によくやってくれた。わたしにとって最上の侍者だった。これからも怠ることなく修行を完 成なさい」。この言葉を最後に、釈尊は息を引き取りました。80年のご生涯でした。その瞬間、阿難は両腕を突き出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、 のたうち廻ってころがったそうです。阿難は他の誰よりも多く釈尊のお言葉を聞くことができましたが、教えを聞き過ぎたためにかえって理解に苦しみ、また自 らの修行にじっくり時間を割けず、他のお弟子がことごとく悟りを開いていくなかで、いまだ悟りを開いていませんでした。ゆえに大地をのたうち廻って悲しん でいたのですが、その姿とは対照的に愛執を離れた修行僧数人は、ぐっと涙を堪えていました。
 

 そのなかに羅嵯羅の姿がありまし た。釈尊は王子として生まれ、長じて妃をとり一子をもうけた直後に出家しましたが、その子が羅嵯羅です。羅嵯羅も9歳で出家し、釈尊のもとで修行を続け、 このとき50歳。師が父であることから教団内に嫉妬する空気があり、ゆえに人一倍努力を続け、険しい山野で独り瞑想を重ねてついに悟りを開き、阿羅漢とな りました。釈尊も羅嵯羅を特別扱いすることなく、だからかお経のなかに羅嵯羅が出てくることはほとんどありません。愛執を離れた羅嵯羅は、釈尊入滅の場面 でも表情を変えません。その姿は完成された修行僧で、阿難と対照的ですが、実父が目の前で息を引き取るという点を考えると、かえって不自然でもあります。
 

  一方で平安時代の『今昔物語』に、羅嵯羅が釈尊のたった一人の息子としての側面が、自然に描かれています。羅嵯羅は釈尊入滅の悲しみからに耐えかねて、そ の場から逃げ、神通力を使って仏の世界へ飛びました。しかしそこにいた仏たちに諭され、元の世界へ戻ることになります。そして羅嵯羅が戻ってくることを、 死の床にある釈尊は待っていました。羅嵯羅の手を握り、「羅嵯羅よ、おまえはわたしの子だ。十方の仏たちよ、どうか羅嵯羅を護りたまえ」。これが釈尊の臨 終の言葉だったと、『今昔物語』にあります。お経に描かれる釈尊は、「すべてのことは無常であり、そこからただ解き逃れることを求めなさい」と羅嵯羅に 語ったとあり、それに対して羅嵯羅は教えを淡々と受け止めたとありますが、『今昔物語』で描かれているのは修行者であり師としての釈尊ではなく、子を想う ひとりの親としての姿です。
 

 父に捨てられた羅嵯羅は、寂しさと憎しみのなかで少年期を過ごしたことでしょう。9歳から父と過ご したとはいえ、集団生活ゆえ多感な頃であっても父としての慈愛あふれる言葉はかけてもらえなかったはずです。羅嵯羅は晩年になってようやく自らを幸運だっ たと認めることができたものの、修行者の集団とはいえ愛憎のなかで、釈尊の子という重圧と闘った青年期、壮年期だったことでしょう。しかし父子は臨終とい うクライマックスにようやく互いを認め合ったというのが『今昔物語』の物語です。愛憎というドラマが根底に流れているからこそ、諸行無常の言葉が響く。死 別の悲しみには涙が合うと考える感性は、国境と時代を超えて変わらないはずです。(住職)